「主の御心を尋ねに行く」2022.11.20
 歴代誌下 34章14~28節

 本当に神様がおられるのなら、その考えておられることをはっきりと聞きたい、と多くの人は思うかもしれません。もっとも、神がおられるかどうかを真剣に考えてみたことはない、という方も多いかもしれません。旧約聖書の時代、神は大変多くの手段によって御自身のお考え、つまり御心を伝えてこられました。それは全世界向けのものもありますが、多くは神が特にお選びになったイスラエルの民に向かって語られたものでした。


  1.神を求め始めたヨシヤ王

 天地の主である神が、人間に御自身の存在を示したり、はっきりと言葉をもって語りかけたりされたことが旧約聖書にはたくさん書かれています。まず、万民に対しては天地にある自然の中に見られるものによって御自身を示しておられます。詩編19編1~5節が代表的です。そして、神がお選びになった人に直接お語りになることがあります。アブラハムやモーセに対してそうなさいました(創世12章1節、出エジプト3章4節)。また幻や夢の中に現れて語られることも(創世記15章1節、28章12節)、神の御使いを通して語られることもあります(同21章17節以下)。そして最も多いのは預言者たちを通して語られることです(サムエル下7章4節以下)。更にはその預言者たちの言葉が書き記されて、それを後の人々が読む、という形があります。今日の朗読箇所がまさにそれであり、今日の私たちもその時代に生きています。もっとも、ヨシヤ王の時代は預言者がいて、直接神の御心を告げる、ということも同時に行われていました。女預言者フルダが出てきます。

 今日の箇所に登場するヨシヤ王は、旧約聖書に出てくる王たちの中でも、ヒゼキヤと並んで信仰深い王、正しいことを行った王として名が知られています。彼は八歳で王となりました。紀元前640年のことです。彼はその治世の第8年、つまり16歳の時から父祖ダビデの神を求めることを始めたのでした。そしてちょうど20歳になった時に偶像を取り除き、ユダとエルサレムを清め始めたのでした。彼がなぜ、どのようなきっかけでそのような行動に出ることができたのか、よくわかりませんが、これまでのイスラエルの歩みを語り聞かせる信仰に篤い側近がいたのかもしれません。ヨシヤの父親のアモン王は、その父マナセのように悪を行い、主の御前に罪悪を積み重ねたとあります(33章23節)。その家臣たちが謀反を起こしてアモン王を殺したとありますから、その悪行を苦々しく思っていた人たちがいたのでしょう。どんな人々の影響かはわかりませんが、ヨシヤ王は20歳の頃には偶像を砕き、異教の礼拝を一掃しようとしました。その背後で、神がこの若き王の心を捕えて真の礼拝へと導いておられたと言えます。


  2.主の律法の書が見つかる

 このヨシヤ王はその治世第18年、つまり彼が26歳の時、神殿を修理するために臣下を遣わしましたが、その時、献金が工事担当者の手に託されて補強と修理のために用いられました。その際、祭司ヒルキヤがモーセによる主の律法の書を見つけたのでした。これは普通、申命記ではないか、と言われていますが確かなことはわかりません。王の書記官シャファンは、それを受け取り、王の前で読みあげます。すると王は自分の着ていた衣を裂きました。衣を裂くのは、非常に激しい感情や怒り、悲しみなどを表わす時になされたことです。ここでヨシヤ王が衣を裂いたのは、単なるポーズではなくて、書かれていた主の律法の内容を聞いて深く心を痛めたからでした。ヨシヤ王は、イスラエルの人々が主に背を向け、他の神々に香を焚いて礼拝をし、偶像を拝んでおり、それによって主の怒りが激しくイスラエルの上に注がれている、ということを知ったのでした。

 しかしここで気がつきます。祭司ヒルキヤは神殿で主の律法の書を見つけたのですが、主を礼拝する神殿のどこかに律法の書がしまわれていて、それが長らく読まれることなく長い年月が過ぎて来たということです。もし申命記であるとしても、申命記に書かれている律法の核をなす部分は、既に出エジプト記でも命じられていました。またヨシヤ王はこの後、預言者サムエルの時代以来の最大な過越しの祭りを行います。過越しの祭りについての命令は、既に出エジプト記にありますので、これまでそのように過越しの祭りが行われてきていなかったということは、イスラエルの中できちんとそれが継承されてきていなかったわけです。そうすると、ヨシヤ王のような信仰は何によって養われてきたのでしょうか。長年にわたりイスラエルの歴史を語る中で、アブラハムに対する主の約束、モーセによる出エジプトの出来事などは教えられてきたわけです。しかし、文書の形で皆がそれを共有し、学び、それに沿って国を築き上げることはできていなかったので、この度のヨシヤ王の改革ということになったわけです。歴代誌や列王記を見ると、イスラエルの王たちの多くの者が主に従わずに他の神々を拝んでいたことが分かります。信仰深いと思われる王の息子が全く逆であったり、反対に主の目に悪とされることを行ってきた王の息子が、このヨシヤのように信仰に立って歩んでいたという例もあります。そういう中でイスラエルは歩んでいたのでした。


  3.主の御心を尋ね求めに行く

 ヨシヤ王は、この見つかった律法の書の言葉について主の御旨を尋ねに行け、と家臣に命じました。祭司ヒルキヤと王が指名した者たちは女預言者フルダのもとに行きます。彼女は主の言葉を告げます。「見よ、わたしはこの所とその住民に災いをくだし、ユダの王の前で読み上げられた書に記されているすべての呪いを実現する。わたしの怒りはこの所に向かって注がれ、消えることはない」と(34章24、25節)。見つかった律法の書に記されているすべての呪いとは、申命記28章15節から68節までに書かれている呪いかもしれません。似たような呪いについての記述は、レビ記の26章14~39節にもありましたが、申命記の記述はそれよりも大変長く記されています。

 それらの箇所を読むと分かりますが、大変厳しい、恐るべき内容です。これでもか、というほどに次から次へと恐ろしい呪いが記されています。それが自分たちに降りかかってくことを真剣に受け止めたならばとても落ち着いてはいられない内容です。ヨシヤ王は主の言葉を真正面から受け止め、聞き従おうとしたのでした。

 それで先ほど言ったようにヨシヤ王は祭司と家臣たちに主の御旨を尋ねに行くように命じたのでした。彼は、自分のために、そしてイスラエルとユダに残っている者のために尋ねに行け、と命じます。神の御心を尋ねるのは、ただ今後何が起こるかということではなく、自分と共にいる人々のために尋ねに行く、という面があるのです。王に指名された者たちは、女預言者フルダに尋ねに行きました。当時のイスラエルでは知られた存在だったようです。女預言者は旧約聖書に僅かですが登場します(他に士師記4章4節のデボラ)。女性であっても特に預言者としての務めを神から授けられた人たちがいたのです。そして王も家来たちも、女預言者フルダのもとへ主の御旨を尋ねに行ったのですから、彼女の預言は確かなものだ、という信頼感があったのでしょう。こうしてヨシヤ王は主の御心を尋ね求めました。彼には、それまで聞いてきた律法や旧約聖書の様々な物語などに加えて、この度見つかった律法の書がありました。そしてそれをもとに直接主の御心を尋ねられる預言者がいました。

 今日の私たちも、主の御心を尋ね求めます。例えばウェストミンスター小教理問答も、主の御心を尋ね求めて17世紀の英国の牧師や長老たちが祈りつつ話合いを続けて、聖書から聞きとったものです。また、それまでに教会が生み出してきた共通の信条がありました。特に聖書から主の御心を尋ね求めたのです。私たちは、そのように聖書の普遍的な教えに聞きます。それらは教理問答書などに書かれるという形で示されます。天地創造と摂理について、神の御心は何だろうかというようにです。

 しかし私たちは、ヨシヤ王がしたように、自分のために主の御心を尋ね求めたい、と思う時が誰にでもあるのではないでしょうか。私たちには女預言フルダのように、すぐに自分に対する主の御心を告げてくれる預言者がいるわけではありません。ある人の進学先や就職先は右が良いか左が良いか、それは牧師も決められません。ただ祈りつつ、いろいろな判断材料を見て決めて行くだけです。迷う時は必ずあります。しかし日頃から聖書に聞き、祈りつつ歩む人を主は必ず導いてくださいます。私たちはそれを信じて、主にゆだねて進むしかありません。しかありません、というのはそれしかないから仕方がないのではなく、それほど確かな歩みができるのです。私たちは知らなくとも、主が知っておられます。それは何よりも確かな歩みを私たちにもたらしてくれます。その道を進める者は幸いなのです。

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