「決して滅びない言葉」 2018.5.13
マルコによる福音書 13章24~31節

 世の中には多くの言葉が溢れています。その中には、私たちが日常口にする会話の言葉、日頃テレビなどで語られる言葉、映画やドラマで語られる言葉があります。そして、私たちが書き記す手紙、新聞や雑誌、さらに書物に書き記された言葉があります。そういった言葉の中には、その時だけ役に立てばそれでよい言葉があります。また、ある程度の期間、ある程度の人々に聞いてもらったり、読んでもらったりしたい言葉があります。更には世の中のできるだけ多くの人に読んでほしいと思って世間に問うような文書・書物などもあります。
大きな本屋さんに行きますと、実に多くの本が出版されていることを実感できます。また、古本屋さんに行きますと、実に大量の本が、買った人の手を離れて売りに出されたこともまたわかります。一度読めば十分、ということなのでしょう。どんな人気作家の本でも、古本屋に並んでいるのを見ると、その時だけ読んで楽しめばよいと思われてしまう本も多いのだろうな、と思うものです。それに対して、何度も読み返したり、抜き書きをしたりして味わっている書物を持っている、という方も結構いるのではないでしょうか。先人たちや、優れた文筆家、作家、詩人、学者、芸術家、哲学者、宗教家など、いろんな人々の言葉があります。そういう言葉や書物の中で、百年単位、千年単位で世の人々に読み継がれている言葉がどれほどあるでしょうか。今日は、そのような世に溢れている言葉の中で、自分の言葉について、「わたしの言葉は決して滅びない」と言われた方の言葉に聞きたいと思います。

1.世界はついにはどうなるか
 先ほど朗読しました言葉は、イエス・キリストが語られた言葉です。イエスは、御自分の言葉について語られる前に、世界が終末を迎えた時に起こることについてお語りになりました。今私たちが生きているこの世界は、やがていったいどうなるのか。科学的には、地球の寿命について17億年ほどである、との説があります。いずれは太陽が寿命を迎えるので、太陽が膨張を始め、近くの惑星が呑み込まれてゆくのだそうです。地球の寿命は太陽次第だということです。実際太陽がなければ地球上の生き物は生命を維持することが出来なくなります。神が天地を創造されたという聖書の教えを信じない無神論の立場に立てば、これが人類の終わりとなるのでしょう。もちろん十数億年先も人類が生き延びているとすればの話です。
 しかしここでイエスは、太陽が暗くなり、月、星などの天体が揺り動かされる時が来ると言っておられます。今日は、世の終わりについてのお話が中心ではありませんので、簡単にしますが、どれだけの年数がかかるかはともかく、やがて地球も他の星も最後の時を迎えるのです。また、宇宙に存在している太陽や月や星、そして地球などが亡くなるだけではなく、今存在しているものがみな滅びてしまうというのが聖書の教えです。

2.滅びるものと滅びないもの
 つまり、聖書では、滅びてなくなってしまうものと、そうではないものがある、と教えているのです。イエスは天体すらも揺り動かされるような時が来たら、それはイエスが再びこの世に来られることのしるしである、と言っておられます。それまでは、今あるこの秩序のもとに、あらゆるものは存続しています。しかし、天地はやがて滅びる時は来る。しかし滅びないものがある。それがイエスの言葉だというのです。これは実に大胆な発言ではないでしょうか。ただここで「滅びる」と言われている言葉は、「過ぎ去る」という言葉です。それを滅びる、と訳しているだけです。過ぎ去るということは、今は存在しているけれども、今存在しているような状態で永久に存続し続けることはできずに、過ぎ去ってしまう。過去のものになってしまうのです。今はあるけれども、いずれはすべてがなくなってしまう。それらを天地、という一言で表しています。それに対して滅びない、決して過ぎ去らないのが、イエスご自身の言葉である、と言われます。
 確かにイエスの言葉は、約2,000年このかた、消え去らないで世に残り、語られ続け、聞かれ続け、読まれ続けてきました。そういうと、二つの声が聞こえてきそうです。イエスの言葉よりも、もっと古い時代からの言葉が読まれ続けている、というのが一つめ。もう一つは、今まで消え去らなかったけれども、これから先もずっと消え去らないかはまだわからないではないか、というのが二つめです。
確かに、時代で言えばギリシャの詩人ホメーロスなどは古いですし、有名なイソップ童話も大変古いものです。紀元前何千年という時代からの大変古い記録や文書などがこの世に残っています。しかしイエスの言葉も、その背景には旧約聖書がありますから、劣らず古いとは言えます。しかし、ここで大事なのは、そのような古さの比較ではなく、言葉そのものの持つ権威と力に目を向けたいと思います。
 ほかにも大変古いものが残っているということもまた、神の御業の一部分ですが、それらの中で神は特に旧約聖書を通して、イエスという方のこの世への到来を予告してこられました。そういう方としてイエスは世に向かって語っておられるのです。

3.人を生かす命の言葉
イエスの言葉は、今日まで消え去らないで語られ、聞かれ、読まれ続けてきました。しかし大事なことは、単にいつまでも残る言葉だということだけではなく、当然その語られた言葉の中味です。長い人類の歴史の中で読み継がれてきた多くの人々の言葉がありますが、イエスの言葉の独特な点は、天地を造られた神からの言葉であるという点です。この世界を造られた神のもとから来られ、この世界がどうなるかを知っておられる神からの言葉を語っておられるのがイエス・キリストなのです。世の中にたくさんの人を励ます言葉や慰める言葉があります。人間の真実を言い表している鋭い言葉もあるでしょう。真理を表している言葉もあります。そういうものもまた、神の恵みの一部ではあります。しかし、神から来る言葉こそ、人の命について、この世界について、間違いなく私たちを導いていただける言葉です。聖書という書物の全体は神の言葉と言われます。それは、様々な出来事や事件などを通しても神はそのお考えを私たちに伝えてくださっているからです。その中でもイエス・キリストの語られた言葉は、直接私たちに語られる神の言葉です。
このイエス・キリストの言葉の内、二つの言葉を紹介しましょう。一つは「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」(ヨハネによる福音書5章24節)。もう一つは「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書14章6節)。これらの言葉の中には、信じる、死、命、永遠、裁き、道、真理、といった言葉が出てきます。どれもみな重い言葉です。日常の雑談で済ませられるような事柄ではありません。イエスは私たちをこの世と私たちの中にある悪と罪から救うためにこの世に来られた救い主です。ですから、私たちの内にある根本的な命の問題、人生の問題に切り込んで来られます。それは時に厳しさを含みます。なぜかと言えば、私たちの命の問題は切実な問題だからです。私たちが神の前に、真剣に向き合わないといけない問題だからです。これをいい加減にしておいたり、後回しにしておいたりしないで、この神からの語りかけであるイエスの御言葉を聞いたなら、その時にそこで立ち止まり、イエスの言葉に耳を傾け、その重い御言葉に心を留めましょう。
しかし同時に、イエスの御言葉は、慈しみに満ちています。私たちの限られたこの世での生活の中で、私たちに希望を与えていただける御言葉です。天地との比較がなされていますが、天地がなくなってしまうというのではなく、今の秩序によって存在しているものがすべて過ぎ去り、新しいものが到来するのです。そしてイエスの御言葉は永遠に残ります。今この世の中には、多くの言葉が溢れている、という話をしました。そういう中で、イエス・キリストの御言葉は、見えないものも見えるものも支配する神の権威に基づいています。安心して自分をゆだねることが出来る言葉です。この言葉に従い、この世を歩んでゆけることは、本当に幸いなことであります。そしてイエスは言われました。「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」(ヨハネによる福音書6章37節)と。決して空しく消え去ることのない、永遠の命の言葉を持つイエス・キリストにより頼みましょう。

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